リズムの話をもう少し。
今日も晩ごはんの支度をしながら、母と一緒に例のCDを聴いた。
心地よいバッハの旋律にあわせて、母のサラダを料理バサミで細かくチョキチョキチョキ。
肉じゃがのおイモもトントントン。
そして、やはりCDが終わっても、トントンというメトロノームの一定のリズムだけは耳の奥に残った。
最近知ったことだが、脳にはセロトニン神経というものがあって、それが衰弱し、脳内物質が欠乏すると、キレやすくなったり、うつになったりするという。
セロトニン神経は、人間の平常心を養うのに重要な役割を果たしている。
長いあいだ、知らず知らずのうちにストレスが蓄積し、うまくそれを発散できない人は、どんどんセロトニン神経が弱るらしい。
でも、この弱った心を立て直すのに打ってつけなのが、リズムである。
一定のリズムで運動すると、心にパワーを取り戻せるのだそうだ。
ひとくちにリズム運動といってもいろいろある。
一定のリズムで歩くもいい、踊るもいい、もちろん意識して行う呼吸だって重要なリズム運動だ。自転車で川沿いをかけぬけていくのもいい。
わたしのような大の動物好きに格好のリズム運動は、乗馬だ。
スポーツ中継をテレビで見ていると、有名な選手がクチャクチャとガムを噛みながら試合に参加しているのをよく見かける。
なんだ、大事な試合だというのに、ガムなんてけしからんじゃないか、とか、またあの人ガム噛んでるけど、よっぽどお口の匂いが気になるんだな、などと昔は思ったものである。
しかし、選手たちがガムを噛むのは、平常心を養うためなのだ。
ガムのクチャクチャも立派なリズム運動である。
貧乏ゆすりなども、無意識の行為かもしれないが、結局はイライラした心を落ち着かせるための自衛策で、立派なリズム運動だ。
毎日、人は常に心地よい風に吹かれているわけではない。
風向きが変わって、自分を見失いかけることだって多々ある。
日頃から、自分に合ったリズム運動の習慣づけを心がけ、脳とこころを強化するのは大事なことだ。
そう思う今日このごろである。
今日も晩ごはんの支度をしながら、母と一緒に例のCDを聴いた。
心地よいバッハの旋律にあわせて、母のサラダを料理バサミで細かくチョキチョキチョキ。
肉じゃがのおイモもトントントン。
そして、やはりCDが終わっても、トントンというメトロノームの一定のリズムだけは耳の奥に残った。
最近知ったことだが、脳にはセロトニン神経というものがあって、それが衰弱し、脳内物質が欠乏すると、キレやすくなったり、うつになったりするという。
セロトニン神経は、人間の平常心を養うのに重要な役割を果たしている。
長いあいだ、知らず知らずのうちにストレスが蓄積し、うまくそれを発散できない人は、どんどんセロトニン神経が弱るらしい。
でも、この弱った心を立て直すのに打ってつけなのが、リズムである。
一定のリズムで運動すると、心にパワーを取り戻せるのだそうだ。
ひとくちにリズム運動といってもいろいろある。
一定のリズムで歩くもいい、踊るもいい、もちろん意識して行う呼吸だって重要なリズム運動だ。自転車で川沿いをかけぬけていくのもいい。
わたしのような大の動物好きに格好のリズム運動は、乗馬だ。
スポーツ中継をテレビで見ていると、有名な選手がクチャクチャとガムを噛みながら試合に参加しているのをよく見かける。
なんだ、大事な試合だというのに、ガムなんてけしからんじゃないか、とか、またあの人ガム噛んでるけど、よっぽどお口の匂いが気になるんだな、などと昔は思ったものである。
しかし、選手たちがガムを噛むのは、平常心を養うためなのだ。
ガムのクチャクチャも立派なリズム運動である。
貧乏ゆすりなども、無意識の行為かもしれないが、結局はイライラした心を落ち着かせるための自衛策で、立派なリズム運動だ。
毎日、人は常に心地よい風に吹かれているわけではない。
風向きが変わって、自分を見失いかけることだって多々ある。
日頃から、自分に合ったリズム運動の習慣づけを心がけ、脳とこころを強化するのは大事なことだ。
そう思う今日このごろである。
ものすごい肩こり症のわたしは、朝食後に時間がある時は、小箱におさまっている緑色の「ハッピーダンベル」を取り出し、両手に一つずつ持ち、好きな音楽に合わせていろいろなやり方でふりまわす。というか、踊りまくる。。
1.5キロの重さを両手に持って軽く体操をすると、肩甲骨まわりの筋肉がほぐれてイタ気持ちいいのだ。
そんなわたしを、マロはもの珍しい巨大な軟体動物でも見るような目つきでじ〜っと見つめる。
自分のパートナーは、なんて変な人間なんだ、とでも思っているのだろう。
ま、実際のところ、彼女の見解は、はずれていなくもないが。
最近、母はあるものにとてもハマっている。
一つのものごとに執心することが滅多にない母だが (ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』とイケメン先生は別として)、今回は例外のようだ。
それは、北海道の叔父と叔母が送ってくれた一つのCDである。
正確には、CDブック。
『パーキンソン病に効くCDブック』(順天堂大学医学部脳神経内科講師 林 明人著 マキノ出版)である。
ブックの帯には、こう書いてある。
「パーキンソン病に効くCD------大学病院で改善例が続出している話題の音楽療法」
あ、なるほどね、癒しを目的にしたゆっくり流れるオルゴールサウンドみたいな音楽かな、と思っていた。
ところが、CDを実際に聴いてみると、ちょっと予想がはずれた。
モーツァルトやシューベルト、ベートーヴェンなどのクラシックや、童謡の旋律にのせて、メトロノームの音が一定のリズムを刻み、聴いているうちに脳を刺激するのが目的である。
こうした脳刺激により、パーキンソン病の患者さんが歩きやすくなったり、気分が明るくなって、症状が改善するのもわかるような気がした。
母がこのCDで歩けるようになったら奇跡だが、彼女の場合は必ずしもそれを目指して聴いているわけではない。
なぜこのCDの魅力に取り憑かれたかというと、素敵な音楽に寄り添うように聞こえるメトロノームの、トントンという一定のリズムに癒されるからのようだ。
最近、うちではしょっちゅうこのCDがかかっているので、トントンというメトロノームの音と、クラシックの旋律が、わたしの脳にも深く浸透し、音楽が実際にかかってなくてもどこからともなく、頭にリズムが響き渡る。
きゅうりを切ってもトントントン。
ぞうきんがけをしてもトントントン。
ここのところ、一日中トントントンが聞こえる。
トントントンは母にとって、とても快感なのだろう。
きっと、夢のなかで、このリズムに合わせて手を大きく振り、歩いているにちがいない。
1.5キロの重さを両手に持って軽く体操をすると、肩甲骨まわりの筋肉がほぐれてイタ気持ちいいのだ。
そんなわたしを、マロはもの珍しい巨大な軟体動物でも見るような目つきでじ〜っと見つめる。
自分のパートナーは、なんて変な人間なんだ、とでも思っているのだろう。
ま、実際のところ、彼女の見解は、はずれていなくもないが。
最近、母はあるものにとてもハマっている。
一つのものごとに執心することが滅多にない母だが (ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』とイケメン先生は別として)、今回は例外のようだ。
それは、北海道の叔父と叔母が送ってくれた一つのCDである。
正確には、CDブック。
『パーキンソン病に効くCDブック』(順天堂大学医学部脳神経内科講師 林 明人著 マキノ出版)である。
ブックの帯には、こう書いてある。
「パーキンソン病に効くCD------大学病院で改善例が続出している話題の音楽療法」
あ、なるほどね、癒しを目的にしたゆっくり流れるオルゴールサウンドみたいな音楽かな、と思っていた。
ところが、CDを実際に聴いてみると、ちょっと予想がはずれた。
モーツァルトやシューベルト、ベートーヴェンなどのクラシックや、童謡の旋律にのせて、メトロノームの音が一定のリズムを刻み、聴いているうちに脳を刺激するのが目的である。
こうした脳刺激により、パーキンソン病の患者さんが歩きやすくなったり、気分が明るくなって、症状が改善するのもわかるような気がした。
母がこのCDで歩けるようになったら奇跡だが、彼女の場合は必ずしもそれを目指して聴いているわけではない。
なぜこのCDの魅力に取り憑かれたかというと、素敵な音楽に寄り添うように聞こえるメトロノームの、トントンという一定のリズムに癒されるからのようだ。
最近、うちではしょっちゅうこのCDがかかっているので、トントンというメトロノームの音と、クラシックの旋律が、わたしの脳にも深く浸透し、音楽が実際にかかってなくてもどこからともなく、頭にリズムが響き渡る。
きゅうりを切ってもトントントン。
ぞうきんがけをしてもトントントン。
ここのところ、一日中トントントンが聞こえる。
トントントンは母にとって、とても快感なのだろう。
きっと、夢のなかで、このリズムに合わせて手を大きく振り、歩いているにちがいない。




