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じんましん

今朝、目を覚ましてみると、手のひらに小さい水ぶくれがたくさんできていて、猛烈なかゆみをともなった。じんましんである。
こういうじめじめした季節や、免疫力が低下している時に特定の食品を摂取すると発現することがあり、ひどい時は手のひらが真っ赤に腫れ上がって夏みかんの皮のようにボコボコになる。
ボコボコになる前になんとか進行をくい止めなければ、と思い、以前に皮膚科でもらった抗アレルギー剤をのむ。
ところが、40分くらいすると、抗し難い眠気が襲ってきて、バタンキュウ。
少し寝たあと、眠気と闘って起きあがり、やるべきことはなんとか精神を集中させて行ったが、眠気はその後もずっとつきまとった。
今日は結局一日中くすりのせいで眠くてたまらなかった。
今、こうしてパソコンに向かっている時でも頭の中はとろとろである。
これからまたひと仕事しなければいけないというのに、蒸し暑いわ、眠いわで最悪である。
明日は薬をのまずに済むとよいのだが。。

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アップダウン

今朝、ベランダのブルーベリーたちを覗いてみたら、ほんの少しブルーベリーらしい色に変わっていて感激。そこでデジカメでパチり。

          bl


もうひといきだ。落ちる前にちゃんと色づいてくれるかしら。
もしかしたら今年は自家製ブルーベリージャムが作れるかもしれない。


さて、昨日母が平熱に戻ってほっとしたのも束の間、またまた微熱に逆戻りしてしまった。

久々の訪問入浴を控え、昨晩はわくわくしてしまったのか、一時間置きに目を覚まし、そのたびに気の毒な父は起こされたようだ。
せっかくきのうは飲み会があって上機嫌で帰ってきた父だったのに、夜中にひっきりなしにお呼びがかかり、今朝は寝不足でヘロヘロで、ご機嫌ななめだった。
起こした当の本人も眠りが浅かったせいで、昨日とは比べものにならないくらいぼんやりとして抜け殻のようだ。
昨日はあんなにしっかりしていたのに、今日はドロロン状態。
それでも、特に他に気になる症状はなかったので、訪問入浴は微熱を押して予定どおり決行された。



母の体調は、日によってアップダウンが激しく、これまでも、こちらは前日の体調を基準にして期待したり、逆に落ち込んだり不安におののくといったようなことを繰り返してきた。でも、それは無意味なことである、と最近ようやくわかってきた。
介護する側は、“今”とだけ向き合い、毎日心を切り替えて、期待も不安もなるべく押し殺すことが自分の心を救う手だてであるような気がする。
あるのは「今」だけ。





C&M

調子が戻る

今日は実に蒸し暑い一日だった。
朝の散歩の時から顔に汗が次から次に吹き出た。

きっと相変わらず母は微熱があるだろうな、と思いきや、今日はどういうわけか熱が下がっていた。
熱が下がったためか、体調もいくぶん上向きになり、顔色、顔つきともによく、こちらのことばにも遅まきながら反応が返ってくる。
朝刊の「誘拐された女子大生、無事保護」という大きな見出しにも、「どう..した?」と興味を示したので、朝のワイドショーで得たばかりの情報をわかりやすく伝えてあげた。

午後になって、蒸し暑さに加えて日差しが強さを増した。
母の介護食をつくるのに、最近はフードプロセッサーを使う機会がふえているが、もっと軽くて、簡単に食べ物をペースト状にしたり、スーパーみじん切りにするような便利グッズがないか、探しにショップへ出かけた。
日本人は、そういう便利グッズを考案する天才的民族だとわたしは常に思っている。
残念ながら今日は「これだ!」と思うようなものは見つけられなかったが、どこかにわたしが求めているようなものはあるにちがいない。

夕方になって、母とテレビの『水戸黄門』を一緒に見る。
調子の悪い日の母は、テレビがついていてもほとんど画面を見ていないが、今日は一生懸命に黄門さまの型どおりの活躍を見て楽しんでいた。
母の横顔を見ながらふと考えた。
どうして年を重ねると皆『水戸黄門』が好きになるのだろう。母だって若かりし頃は目もくれなかったのに。
ストーリー展開が見えるから、安心という枠のなかで緩いスリルを味わえる心地よさがお年寄り向けなのだろうか。。


明日は待ちに待った訪問入浴の日。
さすがに母も今回は楽しみのようだ。
就寝前、車椅子からベッドに移る際に、手を貸していたわたしに母が口ごもりながらひとこと言った。
「明日も..がんばる..ね」
く~っ、泣かせるね。




はじめての写真

まろりん


ついに、なんとかわたしの大切な天使をご紹介できます。
ちゃんと載るかしら。まずは小手調べ。
はじめまして、マロです。

今朝は母を近所のクリニックへ連れて行ったり、バタバタしたり、雨降りだったりしたため、お散歩はおあずけになってしまった。
だから初登場だというのに、ちょっと拗ねたお顔。

...本当は、先ほど、もっとかわいい写真を掲載したつもりだったのだが、いつのまにか、後からパソコンに保存した写真と入れ替わってしまった。
どこか手違いをおかしてしまったらしい。。。
ああもう、ややっこしい。
ちゃんとマスターするまでやはり時間がかかりそう。

ところで、母の微熱は心配のいらないものだった。
咳もないし、肺の音も正常なので、肺炎の可能性はまったくないと言われたのでホッとひと安心。
新陳代謝がうまくいってないのと気温の上昇で、体内に熱がこもっているだけとのこと。
だから、汗を積極的に促すためにも、入浴は行った方が逆によいそうだ。
なんだ、そうだったのか。
明後日の訪問入浴は大丈夫だ。








微熱

二年くらい前だったろうか。
母がブルーベリーの苗木を欲しがったので、近くのフラワーショップで買ってきた。
わたしは母とちがい、決して園芸が得意ではないので、植えた後は苗木自身の生命力の強さを信じてほったらかし(ときどき水くらいはやっていたが)にしていたが、なんとか立派に成長し、近頃たくさんのプックリとした実をつけるようになった。
ただ、色がいつまで経ってもグリーンのままである。
どうしたらブルーベリー独特の色に変わるのだろう。
毎日観察しているが、ちっとも変色する気配がない。このままじゃグリーンベリーのまま地に落ちてしまうのではないだろうか。
どなたかご存知ならお知恵を拝借したいところだ。
その「グリーンベリー」をデジカメで写してパソコンに保存もしたが、まだブログに載せるところまではテクニックをマスターしていない。
グリーンベリーがブルーベリーになる日、そしてデジカメ写真をブログに載せる日、いったいいつになることやら。。。



母の訪問入浴、昨日も微熱のために中止となり、身体を拭くだけとなってしまった。
今日も依然として微熱がある。
母は平熱が比較的高いので、たいした熱ではないし食欲もあるのでだいじょうぶだとは思うが、もうかれこれ十日間もこの状態が続いているので、やはり少し不安である。
もし肺炎にでもなっていたら大変なので、明日の朝、近所の内科で診てもらうことにした。


訪問入浴に全面的に切り替わってから、ヘルパーさんにお世話になることがなくなってしまい、とうとう母の大好きだったヘルパーのYさんともお別れになった。
このYさんはとても熱心なヘルパーさんで、母を第二の母と慕ってくれた人だ。
Yさんといい、先日ヘルパーを退職なさったWさんといい、うちでお世話になったお二人は、三年間本当に献身的にお仕事をしてくださり、とても感謝している。
彼女らは、介護に不慣れだった父やわたしに適切なアドバイスをしてくれたりもした。
ちょっとしたことでも気軽に相談できたし、母だけでなく、父やわたしの愚痴をきいて下さるよき話し相手も務めてくださった。
それに、彼女らのおかげで、わたしもちょくちょく安心して外出することができた。
そのヘルパーさんたちはもう来ない。
母の介護もこれからが本番で、本格的にヘルプが必要になるのは今後だというのに。
ぶつぶつ。

また愚痴を言ってしまった。。

ま、なんとかなった、これまでも。。なんとかなるさ、これからも。
だな。




笑顔

母のアガパンサス、今日は淡い紫色の花が天に向かって伸びるように七本咲いた。
キッチンの小窓からよく見えるので、間近で見えるように母の車椅子を小窓まで寄せてあげる。
ふとこぼれる笑顔。
わたしはこの笑顔が大好きだ。

今日も母の微熱は続いてはいるが、二、三日前の容態に比べると、手足の動きもいいし、なんといっても表情が柔らかくなっている。
進行性核上性麻痺の一つの症状として、眼球の動きがきわめて悪くなるということがあげられるが、母もそのために、最近は上方の一点を凝視することが多い。
でも、時に娘がおバカなふるまいをすると(いつもか。。)、思わず母の表情がゆるむ。
毎晩、夕食の前に母の顔を熱いぬれタオルで拭いてあげるのだが、最後に彼女の鼻をふざけてキュキュッとつまんでみたり、CDの音楽のリズムに合わせて洗濯物を干したり、目の前でわたしがそそっかしさを発揮した時は、母はおかしくてたまらないらしく、よく吹き出す。
マロも母の笑顔を引き出すのに一役かっている。
たとえば、母の寝ているベッドにピョンと飛び乗っては、しっぽをちぎれんばかりに振りながら、母の顔をぺろぺろしたり、鈴を入れたソックスを、まるで猛獣になった気分なのか、ものすごい唸り声を上げながら振り回したり放り投げたり。
マロは、「生きる喜び」に満ちあふれたもう一人のおてんば娘である。
きわめつけは、わたしや父が新聞を広げて読もうとすると、必ず机に飛び乗って、新聞の上にからだを横たえてナントカ阻止しようとする姿。
こんな姿を見せられると、こっちも怒る気持ちが萎えてしまう。
でもこう見えて、マロはけっこう繊細で心やさしい一面もある。
発病当初の母がよく転んでいたとき、真っ先に彼女のもとへ飛んでいっては何事かと心配そうに見守っていたのがマロだったし、今も母が咳き込んで苦しそうにしていると、目を大きく見開き、緊張した面持ちでオロオロする。

マロも母の笑顔が一回でも多く見られるのを心に願っているにちがいない。
わたしにはわかる。






デジカメ

自分の愚かさゆえの失敗に落ち込んでも、元来たんじゅんな性格のわたしは、けっこう立ち直りが早い方だ。
好きな香りや音楽で気分を落ち着かせたり、マロのマッサージをしながらの瞑想で、「ま、いいや」という気持ちになることは往々にしてある。
現に、好きな音楽を聴いていると、どれも自分への応援歌に聞こえてくるから、かなりおめでたい人間だといえる。
こういう「おめでたい人間」には、会いたかった友人との歓談、コンサートや展覧会の見学、映画鑑賞、それに、あれやこれや先の楽しみを心に描きながらの、以前から欲しかった品物の購入も非常に効果がある。
今日はひさびさに○○カメラへ行って、前から欲しかったデジカメをついに買ってしまった。
これからは、このブログにマロの写真やちょっとした風景をバンバン載せることができる。(まずは使い方をマスターし、次にブログへの載せ方も学んでからだから、当分さきになるだろうが。。)


今日もなんだか母は調子悪そうだ。
微熱があるということで、せっかくの訪問入浴や訪問リハビリも中止になった。
首の硬直もひどく、顎が上がったままだし口も開けっ放し。
目は天井を見据えている。
でも、昨日よりはこちらのことばに反応するし、声も出ている。
食欲も普通にある。
きっと母の不調は、梅雨の暗いお天気も影響しているのだろう。

母が大切に育てていたアガパンサスが今年もきれいに咲き始めた。
明日は母のためにこれを生け花にしてみようか。
明日は晴れるといいんだが。





ためいき

ああ、もう。。今日は最悪の気分。

昨夜はなかなか寝付くことができず、ようやく寝ることができても、浅い眠りだったせいか、今朝はのっけから体調がすぐれなかった。
母の方も、昨日とは打って変わって調子悪そうで、何を話しかけても返事はおろか、反応がまったく返ってこなかった。
彼女の場合は、睡眠が不足しているとは考えにくいのだが、今日は起きていても、ほとんど目をつむったままだった。
母の容態は、日によって実にさまざまである。
だから、いちいち一喜一憂するべきではないということは、今までの経験で十分学んだはずだ。
が、今日のように、一日前にはスイスイとまではいかなくてもなんとか出来たことが、まるでエンジンストップしてしまったようにまったく不動となると、こちらの精神状態もとまどいを隠せなくなる。
たとえば、いつも夕食後に入れ歯を洗ってあげる作業があるのだが、まず本人がはずしてくれなければそれができない。
昨日までは、少し時間がかかっても、一応自分で入れ歯をはずすことができた。
ところが、今晩はいくら待てど暮らせどだめだった。
そんなはずはない。きのうはできたじゃないか、と心が叫んでしまう。
頭のなかでは十分すぎるくらいわかっているのに、つい苛立ちを抑えられなくなって顔がこわばってしまう。やはりまだまだ介護者としては失格だ。

大きなためいきが次から次へとこぼれてしまう。

でも、今までだってこういうことの積み重ねだった。
こんな日は、一度自分を抹殺して、明日、生まれ変わるしかない。

今晩は早めに寝ることにしよう。
マロ、明日の朝、この前みたいに早く起こしたりしたら、好物のトマト、一生あげないからね。

パ・タ・カ・ラ

早朝、わたしは夢の世界にまだどっぷり浸っており、現実ではない場所にいた。
それは豪奢なレストランで、セレブしか注文しないような贅沢きわまりないフランス料理を食べながら親しい友人と歓談していた。
おいしそうなファアグラを口に入れた瞬間だった。
突然、ほおの筋肉がひきつり、いくら平静さを装っても、ひきつりはひどくなる一方。
時間的にはそれほど長くはなかったが、しまいには痛くてとうとう目が覚めた。
マロの仕業だった。
肉球の手でわたしのほおをいくらつついても起きないので、思い切り力を入れてひっかいたのである。マロめ。
時間はまだ五時半。いつもの起床時間まで二時間もあるではないか。

時々こうしてマロは早起きをせがみ、朝ごはんが済むと再びトコトコとベッドに戻ってひとりで二度寝をする。
まったくもう、今回はせっかくのフォアグラ、十分に味わうチャンスを逃してしまった。



今日は比較的しずかでおだやかな一日だった。
しばらくは人事異動などで不安定だったスケジュールも、だいたい落ち着きつつある。
鍼、灸、マッサージ、リハビリ、訪問入浴、病院等の定期検診日などなど。
このように、いろいろなサービスを利用させてもらってはいるが、デイケアサービスや、ショートステイだけは行っていない。
利用してくれれば、きっと母も外の空気に触れて気分転換できると思うし、父もわたしも少々羽根を伸ばしたりできるのだが、母の場合はなかなか首を縦にふってはくれない。
何度か見学には行っても、どうしても行く気にはならないらしい。
無理強いもできないので、しかたがない。
近頃は、ことばがはっきり出てこなくなったことも原因の一つかもしれない。
まわりの方々とコミュニケーションが取りづらくなってきているので、おっくうなのだろう。
なるべく残存能力をキープしてほしいので、わが家では毎晩かならず母が寝る前に発声練習を行っている。
ついさっきもその発生練習を終えた。
北原白秋の詩を最初から最後まで一緒になるべくはっきりと発音したあと、「パ、タ、カ、ラ」を三回繰り返す練習がある。

ところが、何度言っても、母は「カ、タ、パ、ラ」になってしまって困っていた。
パ、タがどうしてもカ、タになってしまうのだ。理由はわからない。
ところがある時、その話をヘルパーさんにしたら、
「じゃあ、『パパ宝』というふうに替えてみたらって教えてくれた。
案の定、うまくいって、「パ、パ、タ、カ、ラ」を三回唱えることができるようになった。
そりゃそうだよね。
まめまめしく献身的に介護してくれているパパは、何と言っても母の至上の宝だものね。
楽々言えるに決まってる。










母の紫陽花

今日は朝からず~っと雨が降り続いている。
今年の母の日にプレゼントした鉢植えの紫陽花の花も、雨に濡れてとてもうれしそうだ。

うちは、今はマンション住まいだが、石神井に住んでいた頃は一軒家だったので、小さいながらも庭があり、花が大好きである母は、いろいろな草花の苗を買ってきては所狭しと植えていたものである。
庭の4分の1は、当時飼っていた愛犬コロの犬小屋つきテリトリーで、残りのスペースには、美しく咲き誇る草花や、小さな野菜畑が母によって手入れされていた。
若き日々ををそこで過ごしたわたしは、セキセイインコやカナリヤの大家族を育てることに夢中で、ほとんど草花には興味がなかった。
そのせいか、どんな花々が当時あったかと聞かれても、正直いってあまり覚えてない。
でも、母が育てていた紫陽花と、野菜畑のことだけは今でもよく覚えている。
さやえんどう、トマト、それにきゅうり...いろいろな野菜がちゃんと食べられるサイズに育った。
母の「気」がいっぱい詰まった取れ立ての野菜を味わえる幸せに、当時のわたしは気がついていたのだろうか。自分や家族が健康で、平凡な毎日を味わえるという至上の幸福に少しでも感謝しただろうか。
母が育てた紫陽花は、今もあの庭で咲いている。


昨日、いつものケアマネージャーさんが、突然お別れのあいさつにいらっしゃった。
このケアマネさんになってから、まだ2ヶ月足らずだというのに、もうお辞めになるという。
驚きを隠せなかった。
ヘルパーさんの話によると、国の制度改正と会社とクライアントの板ばさみによる心労が重なっての退職らしい。
うちに来ている二人のヘルパーさんたちは、3年間替わることがなかったが、ケアマネージャーさんは、3年間ですでに3度も交替している。
ヘルパーさんももちろんそうだが、ケアマネージャーさんというお仕事は、真摯に対応しようと思えば思うほど、過酷な職業であるにちがいない。
特に、最近は制度改正の影響で、介護支援関連全体が大きく揺れ動いているようだ。
介護者の心のケアの問題にもう少し目を向けてもらうことは、過度な要求なのだろうか。








弱った脳とこころには

リズムの話をもう少し。
今日も晩ごはんの支度をしながら、母と一緒に例のCDを聴いた。
心地よいバッハの旋律にあわせて、母のサラダを料理バサミで細かくチョキチョキチョキ。
肉じゃがのおイモもトントントン。

そして、やはりCDが終わっても、トントンというメトロノームの一定のリズムだけは耳の奥に残った。

最近知ったことだが、脳にはセロトニン神経というものがあって、それが衰弱し、脳内物質が欠乏すると、キレやすくなったり、うつになったりするという。
セロトニン神経は、人間の平常心を養うのに重要な役割を果たしている。
長いあいだ、知らず知らずのうちにストレスが蓄積し、うまくそれを発散できない人は、どんどんセロトニン神経が弱るらしい。
でも、この弱った心を立て直すのに打ってつけなのが、リズムである。
一定のリズムで運動すると、心にパワーを取り戻せるのだそうだ。

ひとくちにリズム運動といってもいろいろある。
一定のリズムで歩くもいい、踊るもいい、もちろん意識して行う呼吸だって重要なリズム運動だ。自転車で川沿いをかけぬけていくのもいい。
わたしのような大の動物好きに格好のリズム運動は、乗馬だ。

スポーツ中継をテレビで見ていると、有名な選手がクチャクチャとガムを噛みながら試合に参加しているのをよく見かける。
なんだ、大事な試合だというのに、ガムなんてけしからんじゃないか、とか、またあの人ガム噛んでるけど、よっぽどお口の匂いが気になるんだな、などと昔は思ったものである。
しかし、選手たちがガムを噛むのは、平常心を養うためなのだ。
ガムのクチャクチャも立派なリズム運動である。
貧乏ゆすりなども、無意識の行為かもしれないが、結局はイライラした心を落ち着かせるための自衛策で、立派なリズム運動だ。

毎日、人は常に心地よい風に吹かれているわけではない。
風向きが変わって、自分を見失いかけることだって多々ある。
日頃から、自分に合ったリズム運動の習慣づけを心がけ、脳とこころを強化するのは大事なことだ。
そう思う今日このごろである。

リズムの効用

ものすごい肩こり症のわたしは、朝食後に時間がある時は、小箱におさまっている緑色の「ハッピーダンベル」を取り出し、両手に一つずつ持ち、好きな音楽に合わせていろいろなやり方でふりまわす。というか、踊りまくる。。
1.5キロの重さを両手に持って軽く体操をすると、肩甲骨まわりの筋肉がほぐれてイタ気持ちいいのだ。
そんなわたしを、マロはもの珍しい巨大な軟体動物でも見るような目つきでじ~っと見つめる。
自分のパートナーは、なんて変な人間なんだ、とでも思っているのだろう。
ま、実際のところ、彼女の見解は、はずれていなくもないが。


最近、母はあるものにとてもハマっている。
一つのものごとに執心することが滅多にない母だが (ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』とイケメン先生は別として)、今回は例外のようだ。
それは、北海道の叔父と叔母が送ってくれた一つのCDである。
正確には、CDブック。
『パーキンソン病に効くCDブック』(順天堂大学医学部脳神経内科講師 林 明人著 マキノ出版)である。
ブックの帯には、こう書いてある。
「パーキンソン病に効くCD------大学病院で改善例が続出している話題の音楽療法」
あ、なるほどね、癒しを目的にしたゆっくり流れるオルゴールサウンドみたいな音楽かな、と思っていた。
ところが、CDを実際に聴いてみると、ちょっと予想がはずれた。
モーツァルトやシューベルト、ベートーヴェンなどのクラシックや、童謡の旋律にのせて、メトロノームの音が一定のリズムを刻み、聴いているうちに脳を刺激するのが目的である。
こうした脳刺激により、パーキンソン病の患者さんが歩きやすくなったり、気分が明るくなって、症状が改善するのもわかるような気がした。

母がこのCDで歩けるようになったら奇跡だが、彼女の場合は必ずしもそれを目指して聴いているわけではない。
なぜこのCDの魅力に取り憑かれたかというと、素敵な音楽に寄り添うように聞こえるメトロノームの、トントンという一定のリズムに癒されるからのようだ。

最近、うちではしょっちゅうこのCDがかかっているので、トントンというメトロノームの音と、クラシックの旋律が、わたしの脳にも深く浸透し、音楽が実際にかかってなくてもどこからともなく、頭にリズムが響き渡る。
きゅうりを切ってもトントントン。
ぞうきんがけをしてもトントントン。
ここのところ、一日中トントントンが聞こえる。
トントントンは母にとって、とても快感なのだろう。
きっと、夢のなかで、このリズムに合わせて手を大きく振り、歩いているにちがいない。





頼りになる掃除機

母のことで、気をつけなければならないことは山ほどあるが、なかでも特に注意しなければいけないのは食事である。
最近は、のどの反射がにぶくなっているために、食物が飲み込みにくくなってむせたり、のどにつかえることが多くなってきた。
ほんの数ヶ月前までなんの問題もなく食べることができたメロンやスイカでも、今はフードプロッセッサーにかけなければ食べられない。
水やジュースでさえ、とろみをつけなければ飲めなくなってしまった。
しかも、首の筋肉の硬直が日増しにひどくなっていて、普通にすわっていても、あごが上がってしまい、いつものけぞるようなかっこうである。
もちろんそれは食事のときはタブーな姿勢だ。
口の中で咀嚼した食べ物の飲み込みがうまくいかずに器官に入ってしまうと、肺にたまって嚥下性肺炎を引き起こしかねないから。
嚥下性肺炎は、無菌性肺炎が多く、発熱がないために気づかれにくく、診察を受けたときには、かなり悪化していることも多いという。

初めて母が食べ物を喉に詰まらせて苦しそうに息も絶え絶えになったときは、そりゃあもう、父とふたりで大慌てで、てんてこまいだった。
しかし、なんども同じことを繰り返してきたせいで、今はもう、対処はお手のものである。「慣れ」とは、すごいものだ。
まず、第一段階では、胸を片方の手で押さえながら、もう一方の手のひらを使って、思いっきり強く、母の肩甲骨のあいだをたたく。
それでもつまった食べ物が口から出てこなかったら、掃除機で吸い出すしかない。
そう、掃除機が一番!
ズゴゴゴ~...。詰まった食べ物はすっきり吸い込まれ、母は楽になる。
うちでは、そういう緊急時専用に、2500円の小型掃除機を買い、棒状のさしこみノズルの三角に尖った先を切り落とし、やすりをかけて、口に入れても痛くないようにし、いつでも使えるように常備してある。
もう何度使ったか知れない。
でも、そのように家庭用掃除機のノズルを母の口の中に突っ込んでいる父と私の姿は、けっして他人には見せられない。
事情を知らない人が見たら、家庭内虐待「地獄絵図』さながらの光景だろう。
なにしろ父もわたしも必死なもんだから、身の毛もよだつほど真剣な顔をしているのである。
でも、それでいいのだ。
頼りになる掃除機サマサマである。

『海からの贈りもの』

先日、アン・モロウ・リンドバーグ著(落合恵子訳)『海からの贈りもの』を読了。
著者は、かのリンドバーグ氏の夫人である。
大書ではまったくないのに、なぜか時間がかかってしまった。
いや、時間をかけて読んだと言った方が近いかもしれない。
さっと読み飛ばしてしまうにはあまりに素敵な本だったから。

1950年代に書かれたこの本は、日々、家事や雑事に謀殺されがちな著者が、すべてを離れ、海岸の家でゆったりとひとりの時間を過ごし、人生について、女性の生き方や時代について模索し、彼女なりにたどりつい哲学をつづったもの。
この本に書かれてあることばは、半世紀近くも時が経っているのに、今という時代に生きるわたしたちの心にも新鮮に響く不思議な魔力を持っている。
たとえば、

● どれだけ多くではなくて、どれだけ少ないもので暮らすか。
● わたしたちは結局、みな孤独である。ひとりでいるということを、もう一度はじめから学び直さなくてはならない。
● 中年は、本当に自分自身でいられる年代なのかもしれない。
● この世にたったひとつのものなど存在しない。あるのは、たったひとつの瞬間だけだ。

ということばたち。

この本を読んで、あらためて自分がどれほど幸せかということに気づかされた。
今、わたしはありのままの自分で生きている。
過去について、素直に振り返ることもできるようになった。
貴重なひとときを、満足のいくように自分の歴史に刻み続けることもできている。

明日はどんな風が吹くのだろう。
不安がまったくないといえばうそになるが、楽しみでもある。





イケメンにときめきシンドローム

雨の日のマロ(愛犬、3歳♀)はちょっとかわいそうだ。
いつもなら、午前中に外出してぴょんぴょん跳ねることができるのに、今日は朝から雨が降り続き、散歩もおあずけとなった。
朝の散歩は、彼女にとってよその犬たちと交流できる格好の機会なのだ。
毎回、リードを引くわたしの手に彼女の期待と興奮が伝わってくる。
面白いことに、彼女の好みの男性は、少しお年を召した物静かなジェントルマンか、同世代のマイペース型のようだ。
若くて積極的な犬や、軽い輩はどうも苦手らしい。
敵が近寄ってこようものなら火のついた爆竹のように吠えまくる。
生後数ヶ月のおチビちゃんもだめ。
気品ただようクールなイケメン犬に出会うと彼女の目はハートになる。

イケメンといえば、母にマッサージとお灸をしに週に2回家に来てくださるO先生。
俳優の渡辺謙と妻夫木聡(?)を足して2で割ったような端整な顔立ちの若い先生で、いわゆる「イケメン」である。
訪問リハビリでうちに来てくださる若い女性療法士のEさんも彼の大ファンで、ある時母に「あの先生、イケメンですよねえ」って言ったことがきっかけで、母は「イケメン」という言葉の意味を初めて知ると同時に、O先生を名まえで覚えるかわりに「イケメン」で頭にインプットしてしまった。
さすがに本人の前では口にしないが、今度イケメンはいつ来るのか、とか、きょう、2時からイケメンだよね、などと完全に彼の本名を無視しているのだ。
おまけにこのO先生、とても人当たりがよく、爽やかボーイなので、母はすっかり彼を気に入ってしまい、うちに先生がいらっしゃる日は朝からソワソワし出す。
それだけならまだしも、問題は前夜におよぶ。
まるで遠足の前の晩の子どもみたいに、母は次の日が楽しみでドキドキして眠れないのだ。
いくつになってもときめくのはいいことなので、別に咎めるつもりはないが、夜中に何度も起こされたり、朝早くから準備をせかされる父はたまったもんじゃない。
母のこのシンドローム、いつ治まるのやら。




花びらのモザイク

昨日、東京は梅雨入りしたが、今日は朝からお日さまが顔を出していて
うれしかった。やはり朝一番に太陽の光を拝めるのは幸せなことだ。

我が家のベランダでは(といってもマンションの13階だが)、鉢植えのバラを
育てている。
多少うどんこ病にやられてしまっている箇所もあるが、
今年はなんとか蔓延せずに、たくさんのつぼみが一気に開花してくれた。
毎日、状態を確認し、手塩にかけてきたので、とてもいとおしい。
開花後、しばらくは青空に映えるたくさんの赤いバラの花をながめることができて
とても目を楽しませてもらった。
でも、花の命は短いもの。
ここ二、三日、風に揺さぶられて舞い散る花びらの量がふえてきた。
おかげでベランダは赤い花びらのモザイク柄になっている。
早く掃きそうじをしないと、排水溝がつまってしまう。
でも...。でもである。
地に落ちても、いとおしいものはいとおしい。
しばらくはこのままにしておこう。
普段は殺風景なベランダも、花びらたちの化粧のおかげで華やぎ
があっていいではないか。

母の介護認定が3から4に変更になった。
今までヘルパーさんに頼んでいた入浴介助も、このままだと
危険きわまりないということで、派遣先から
訪問入浴に切り替えてはどうか、と勧められた。
訪問入浴ならば、本人は台に乗ったままなので、立ち上がったり
動いたりする必要はなく、係の人たちで
すべてをやってくれるから、安全この上ないという。
入浴前後に、体温、脈、血圧チェックまでしてくれて至れり尽くせりだ。
そこで先日、試しに母はこの訪問入浴を初めて体験した。
やってきたのは、若い女性二人(うち一人は看護士)と若い男性一人の合計三人。
でっかいボートのような浴槽や、何本もの頑丈なホース、台,その他もろもろの器材を
三人が手分けしてかついでマンションの最上階までえっちらおっちら運び、
てきぱきと部屋に設置し、ものの見事な早さでやるべきことをぬかりなく行って
四十分ですべてが終了。
はたして母はリラックスできたのだろうか。
日常生活において、もっともと言えるほど癒されるはずのバスタイムなのに、
あれよあれよという間にことが行われて、
ここちよかったのだろうか。
心配をよそに、感想を聞かれた母は、
「温泉みたいにきもちよかったあ~」とひとこと。
本当は自分一人で入りたいのに、それがまるっきり不可能になってしまった母は、
みんなの気持ちを汲んで、そう言わざるをえなかったのだろう。
とても切ない気持ちになった。





スタートでござる

おお、ついにわたくしめも今日からブログデビューを飾るのか。

ではまず、自己紹介をば。

わたしは、父(79歳)とともに、難病を抱える77歳の母を在宅介護する大のイヌ好きな気まぐれライター(女)。

わたしにとって、介護とは何か。

  カイゴは、一喜一憂
  カイゴは、暗中模索
  カイゴは、自己嫌悪とのたたかい
  カイゴは、アイデアの起爆剤
  カイゴは、ムンクの「叫び」
  そして、
  カイゴは、心と心が通じ合う大切なひととき


母の病名は、進行性核上性麻痺。
四、五年前から、急なふらつきによる転倒で怪我することが多くなり、
病院で精密検査した結果、難病であることが判明。

今のところ、この難病を治す特効薬はなく、パーキンソン病の薬で
症状を緩和するくらいしか手だてがない。

現在、母は自力ではほとんど歩行できず、車椅子の生活を送っている。
座っている姿勢では、上半身が左もしくは右に大きく傾き、自分で体勢を立て直す
こともままならない。
ことばの方もハッキリ発話できなくなりつつある。
手の動き、非常に悪く、すべてにおいて、
介助なしでは生活できない状態である。

それでも、落ち込みを見せることはめったにない。
我を張って周囲を手こずらせることはあるが、
毎日、明るく気丈に病と闘っている。


わたしは介護にたずさわる者として、本当に至らない点だらけの人間で、
毎日あたふたの連続である。
が、日々の経験を通じてさまざまなことを学び、
思わぬ発見や出会いにつながることも多い。

今日は今日の風が吹く。
明日は明日の風が吹く。
風に身をまかせて、いぬばばはゆく。

プロフィール

マロリンママ(ママリン)

Author:マロリンママ(ママリン)
赤やピンクやフリフリがとっても似合うキュートな愛娘マロリン(シーズー♀
1月12日生まれ8歳)。
でも意外とタフでやるときゃやるぞ的な性格。
ヤワなママとは大違い。。
そんな彼女との備忘録をゆるゆるとつづっています。

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