「いぬばば」とマロ(シーズー)のたわいない話
 自画像
2006年12月20日 (水) | 編集 |
akazukin


<赤ずきんちゃん?>

パソコン絵画の今回の課題は、自画像。
午前中、デジカメで撮った自分の写真を見ながらホネをベースに描く。
おかしいことに、ああ、ここのラインがもう少しここにあったら、とか、このシワはない方がいいのに、とかいろいろとムシのいい願望を抱いているうちに、気がついたら本当に巧みに修正しすぎのありえない顔になっていた。
「ありゃ?、コレいったい誰?」って感じだ。
でも先生は私の顔なんぞ知らない。
馬鹿がつくくらいまじめでなければ、このまま提出するところなんだけどなあ。
できないんだなあ、それが。

ところで、禅の言葉に「色即是空」ということばがある。
すべての物の本当の姿は「空」であり、実体ではないという教えである。
「色」は具象的なもののことで、「空」はそれらのバックグラウンドである天地の因や縁をさすという。
簡単にいうと、目に見えるものでも、本当はみな無であるということだ。
だから、目の前のパソコンも植木も、マロもいぬばばも、もろもろの原因や偶然や縁や力などによって具体的に存在しているけれど、本当は無であるということ。

でも、逆に考えると、この世のすべてのものは、本当は無ではあるにもかかわらず、いろいろな理由、意味があって存在していることになる。
いぬばばも、マロも他のすべての人たちも、みな、理由、意味があって生きている。存在させられているのだ。
そう考えると、いぬばばは、生かされていることに感謝し、今、自分に何ができるのかを常に考えながら歩いていきたいと思わずにいられない。

そんなことを考えながら、自画像を描き直した。
決して自慢できるような顔じゃないし、シミやシワ、白髪もふえたが、一生懸命に生きてきた証と思えば、愛着もわくというものよ。