2008年02月02日 (土) | 編集 |

木曜日の朝、いつものように毛糸と道具をバッグにしのばせ母の病院へ。
着くと、なんだかいつもとちがう不穏な空気を感じた。
廊下の向こうから聞こえるくぐもったような大きな荒い息づかい。
すぐに母のものだということがぴんときた。
あわてて部屋へ行くと、ベッドの横にはこれまでなかった大きなまっ黒い酸素ボンベが置かれてあった。
その姿かたちの存在感ありすぎだこと..見ただけで血圧がぐんと上がってしまった。
で、母の鼻と口には酸素マスクが取り付けられてあった。
あっけに取られていると、となりのおばあちゃんがあいさつより先にこうおしえてくれた。「いまお医者さんが診察にこられて帰ったところよ」
それを聞いただけで、ただならぬ事態なんだな、とわかった。
この病院に転院してはじめての容態急変だ。
ほんの数分前までのわたしの頭のなかは、これから編もうとしている毛糸のきれいな色で染まっていた。それが一瞬にして真っ白になった。
ぼーっとしていると、
「娘さん、院長先生がお話したいそうですのでナースステーションまでお越しください」
「は、はい..」
ああ、このシチュエーション今まで何度経験したことか。
こういう時って決まって医者の口からはあまりいいお話が飛び出さないんだよなあ..
どきどきする心臓に手を当てながら心の中でそんなことを考えていた。
案の定..
「お母さんちょっと苦しそうだね。肺に痰がたまっちゃって吸引しても完全に取りきれないのと、本人に自力で出す力が残ってないからそのせいで呼吸不全を起こしています。血中酸素濃度が70%、熱もけっこう高い。
抗生剤投与で様子を見ようと思うけど、スッと息を引き取られる可能性も低くはないから少し覚悟をした方がいいかもしれないなあ..」
以前の病院のポーカーフェイスな先生とはちがい、この院長先生からはとてもあたたかみが感じられた。
相手のあたたかみを感じると人間は涙腺が弱くなるものである。
わかりました、と部屋をあとにして、階段の隅っこで涙をふいた。
ああ、とうとうその日が迫ってきた。
この半年が奇跡のようなものなのだからこれ以上望むのは無理だよなあ..。
ところが...である。
なんと、母はまたしても迫り来るお迎えをはねのけて戻ってきてくれたのだ。
午後3時頃には、血中酸素濃度が93%まで回復してきた。
熱はまだ高いし、息づかいもまだ尋常ではないので酸素マスクははずせないが、
朝の苦しそうな形相が少し柔らかくなってきた。
さらに、翌朝(金曜日)おそるおそる病室に向かうと..あれ、声が聞こえない..
逆にドキドキがエスカレートした。
ところが行ってみると、な、な、なんと、母は静かな寝息を立てて寝ていた。
相変わらず酸素マスクはしたままだが、昨日の苦痛に満ちた表情とは打って変わっておだやかな顔つきだ。
信じられないことだが、母はまたしても危機を乗り越えたのだ。
今も予断を許さない状況ではあるが、なんとか最悪の事態からは脱したようだ。
またまたふ〜っ、である。
これはもちろん目を見張るような母のファイティングスピリットのおかげもあるけれど、わたしはこの病院の対応の良さによるところがとても大きいと思う。
家族がそばにいない時でもひっきりなしに看護士さんや介護士さんがのぞきにきては医療行為はもちろんのこと、衛生管理やその他、いろいろと気を配ってくださるのだ。
なんだ、当たり前じゃないかと思われるかもしれないけれども、ザンネンながら昨今の巷の病院ではあまり期待できないのが悲しいところ。
残された時間、とにかく苦痛を取り除いてあげて欲しいという家族の想いがこの病院のスタッフにはちゃんと伝わっていると思う。
この病院に転院して本当によかった。
それにしてもおそるべし、わが母。
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